于武陵 「歓酒」が好きだという話。そして、「好き」の話
「さよならだけが人生だ」このフレーズが有名な漢詩がある。于武陵の「歓酒」だ。
そもそも「さよならだけが人生だ」、というのは井伏鱒二さんによる訳のワンフレーズである。
全文は
この盃を受けておくれ
どうぞ並々注がせておくれ
花に嵐の例えもあるぞ
さよならだけが人生だ
というものである。
解釈は様々あると思うが、
人はいつか死ぬ。別れというものからは、どうやっても逃げられない。だから今だけは、どうか仲良くしてくれないか
という捉え方が自分は好きだ。
時間は有限で、人の命も有限だ。限りがあるものには終わりがある。この限られた時間の中で、相対する貴方と共に過ごしたい。この歌は、とても穏やかで、人に対する愛情が溢れて見えるようだと思う。
好意だけでは見えない側面もあるのかもしれない。物事を疑い、本質を見抜く人々に嫉妬し嫌うことがある。自分は好きなものを見て好きな人と関わって生きていきたいと思ってしまう。
どうすれば世界の解像度は上がるのか、未だ見えない問いではある。
だがしかし、「好き」は世界を広げるのだ。たとえ世界にフィルターをかけてしまうとしても、「好き」がなければ気がつかなかった世界がある。
広げた世界に問いを立て、そこから解像度を上げても良いはずだ。
さよならだけが、人生なのだとしたら、まずは多くと出会い、多くを見たい。
さよならを告げるのはその後でいい。
明日何かに出会えるように、今日の世界に幕を下ろそう。